川倉賽の河原地蔵尊

| 散策場所:青森県北津軽郡金木町 散策日時:平成14年4月15日 |
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青森では恐山と肩を並ぶ位の霊場が、ここ津軽の地にも存在する。 今回はスポット散策としてでは無く、霊場・・・まさに異界への散策としてご紹介します。 当地の名称等を明かさないで紹介をしようと思いましたが、かなりのメディアにも登場してますし、公共のHPサイトでもご紹介されてるので自己判断ですが、明記する事にしました。 勿論、霊場と在りますので噂もチラホラと聞かれます。しかし、地元の方にお聞きすると、「霊場なんだから不思議な事があってもおかしくない」と言った事も言われています。確かに、私も若い時分には噂も聞かれ何度か足を運んだ事もあります。肝試しもした記憶も・・・・・ では当地の案内をしたいと思います。看板に書かれてた事ですが・・・・ ここ川倉の賽の河原は慈覚大師の開創と伝えられる点は下北の恐山と同様であるが、天空からお燈明が降り、掘ると一体の地蔵尊が出土、これを安置したのがその始まりとも言う。文化、文政の頃から参詣人が増えたという事から、およそ170年も前から民間信仰のメッカとして支えられ、例大祭(旧暦の6月22日より24日まで)には多くの参拝者で賑わう。特に鎌倉時代以前から居たとされるイタコの口寄せも行われる場所とされている。 |
駐車場近くには、先の大戦で亡くなられた方々の冥福を祈る慰霊碑とも存在。旧満州国へ開拓団として乗り込んだ青森県人。敗戦により全ての財産を捨て命からがらの引き揚げ。そして半数にも及ぶ同胞の霊を慰める為に慰霊塔を建立したと記されている。そして、いよいよ地蔵堂へと向かいます。 扉を開け目に入って来たのが、五体の御地蔵様。これには正直驚きました。人間が居る物だと勘違い。あれは勘違いだったのかな?妙に人間っぽく見えたのだが・・・・近づくと石製と木製の御地蔵様。 内部を一周出来る仕組みになっており散策。先ほどの五体の御地蔵様の裏には・・・・ 数百体の御地蔵様。雛壇形式になっており、みな色とりどりの着物や涎掛けを身に付けていた。その光景は圧巻である。そして生前の持物等も奉納されている。背広・着物・学生服・おもちゃ・ランドセル・・・・・ 地蔵堂を出て、次は隣りにある人形堂へ向かいます。 ここは、未婚の男女を供養し適齢期になれば神様・仏様が配偶者を見つけてくれる伝説に従い、亡くなった子供達に親達が夫婦人形を奉納し、仮想結婚式つまり「冥婚の儀式」を挙げる。お堂の中は、日本人形販売店の倉庫みたいに、ずらりと夫婦人形が並んでいる。中には赤ちゃんに見立てたのだろうか、キューピー人形も一緒に奉納されている所もある。物音一つしない静寂の佇まい・・・・ |
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堂内の散策も終わり、沼の方へ向かいます。 参道には風車が奉納されており参道を彩っている。季節柄でしょうか妙に寂しい感じも見られる。道端に在る御地蔵様ですが、きちんとした形のもあれば御地蔵様に似たてた石に小さい着物を着させてるのもある。中には風化したのもあり年月を感じさせる。賽の河原に良くみられる石を積み上げたのも見受けられた。 |
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| 金木町。太宰治の生家で有名な斜陽館やストーブ列車で有名な津軽鉄道。春には桜祭りで有名な芦野公園等もある当地だが津軽の霊場として神聖な地域でもある。当地蔵尊には、私が見た限りでは、遠くは関西方面からも来られてるみたいだ。当地には2000体余りの御地蔵様が安置されている。故人の事を思い手を合わせるのもそうだが、ここへ訪れ散策していると、子を思う親の気持ちにも手を合わせたいと思った。これが素直な気持ちです。散策記の作成上、順番は正門からなってますが、本来は裏手からの散策。賽の河原を見てから地蔵堂・人形堂への散策だったのですが、帰り際にどうもおかしい。人形堂から出て山門に向かい帰路に付いてると、下肢の脱力感が襲う。一瞬、お持ち帰り?頼られた?と思い、山門近くにある小さな御地蔵様があったので、思わず手を合わせてしまいました。心の中では、自分は何も出来ないから、ここの御地蔵様に導かれて下さい。と手を合わせ念じていたら不思議と脱力感が消えました。雰囲気にやられたのでしょうか? まっ人形堂では不思議な写真が一枚撮れてはいるのですが・・・・光学上の問題かも知れません。人形堂で夫婦人形のアップ写真なのですが、ピンク色に写ってしまった。この写真は不思議写真コーナーには公開出来ないと思います。だって・・・・ |