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| 八王子城。1587年(天正15年)、北条氏康の三男・氏照が築城。 1590年(天正18年)6月23日、天下統一を進める豊臣軍勢、上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの連合軍一万五千に攻められ一日で落城。 一方の北条側は、主だった家臣は、小田原城に赴いていた為に、城代・横地藍物吉信を中心に領民を加えて千名。戦力の差は歴然としていた。豊臣連合軍は、小田原城攻略も視野に入れ、凄まじい限りの力攻めを敢行し殲滅戦を行った。兵や領民の男は、討ち死や切腹。女子供は御主殿の滝に身投げ。この御主殿の滝は、三日三晩に渡り、血で赤く染まったと云われている。 ※その他、詳細はネットや歴史書などで参照して下さい。 八王子城址散策は、今回で・・・十数回目。朝・昼・晩を全て制覇。散策する度に、新たな発見等もする場所でもある。心霊スポットと謂われる場所、御主殿の滝周辺が多い。足を延ばして、一番の激戦区だった金子丸(曲輪)がコース。今回も金子丸までの散策です。正直言って・・・体力が持たないのが本音です。過去には、本丸、馬冷や大天守までも散策に行っているのだが・・・・・。 噂としては、お持ち帰り(所謂、霊の憑依現象)の可能性が多い。馬の嘶き・甲冑の音。斬り合う音や兵の呻き声など、多種多様でもある。しかし、一番の噂は、落城の日。旧暦6月23日に当該地へ訪れると、先にも書いた現象に遭う確立が一番多いと謂われている。それも、雨の日に・・・・・。 旧暦6月23日とは、今でいう7月24日頃。梅雨明け若しくは明け間近であろう。諸説や計算方法が数種あるので、数日の前後は発生する模様です。 地元では、落城の日に赤飯を炊いて供養する習わしが、今でも続いている。 復元された曳橋を渡り、虎口を通り御主殿跡へと進み御主殿跡入り口の門を潜ります。この門の前で撮影すると心霊写真が撮れるなどの噂があります。そのまま御主殿跡広場を通り、御主殿の滝へと向かう。今では、滝の高さは然程ありません。本当に此処で身投げしたのかと疑うほどの高さですが、年月の経過で変わったのだろうか?私的には、御主殿の建物から滝に向かって身投げしたのではないのかと思うのだが・・・・。 曳橋の下を通り入り口へと向かう。一通りはこれで終わりなのだが、足を延ばす場合は、入り口右側奥にある鳥居。そこを進んで行けば、金子丸や本丸跡(八王子神社)へ行く事が出来ます。 金子丸を通るのは新道と呼ばれる道ですが、幾分、道は整備されてはいるものの、かなり歩き辛い。数箇所の曲輪を過ぎ、本丸跡へ行けます。その他、古道もありますがお勧めしません。私も古道を通り本丸まで行きましたが、道という道はありません。かなりの体力・足腰の筋力が必要です。本当に心霊的現象を感じるのは古道の方かも知れませんよ。行く際は、足元がかなり悪いので気を付けて下さい。軽いノリでの行為はお勧めしません。自己判断で行って下さい。 |
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| この地へ訪れたのは、いつ以来だろうか?元々、歴史や遺跡見学が好きなので城跡巡りも苦にならない。しか〜〜し!疲れるんだよね。平城なら良いのだが、この様な山城形態している所は、中々足が進まない。以前、九州の岸岳城址にも登ったのだが、あの時も四苦八苦です。下に降りてから、一箇所の写真撮影を忘れ、引き戻るか思案したのだが・・・結局、帰りの飛行機の時間に遅れる可能性も考え断念した経緯もある。同じく、八王子城址も毎回、撮影を忘れる箇所もあり、その為に訪れてるのかも知れない。まっ、大体はスポット散策がメインではあります。雑誌の取材依頼やテレビクルーへの案内。合同散策など・・・なんか、俺にとって八王子城址とはず〜と続きそうな感じも? 本丸跡や馬冷・大天守跡の写真ですが・・・見当たらない!おそらくMOに記憶してるのだろうが、データが無い。壊れているMOが3枚。その内の一枚に入ってるのだろうか?殆どのMOデータは、CDに移したのだが・・・。初期の頃の他地域画像が見当たらない(泣) |