|
||||||||||||||||||||||||
江戸幕府開府から7年。1610年(慶長15年)農民が黒岩山で銅山発見。幕府の直山となり銅山奉行を置く。閉山は昭和48年。360年余に渡って、我が日本国産業(鉱業)の柱として君臨して来た足尾銅山。光と影が存在し、今でも傷跡が癒されぬまま往時の姿が垣間見れる場所でもある。 初めて当地へ訪れたのが3年程前の冬。何気なく訪れた足尾・・・・ その日から、私は何かに導かれるかの様に何度も足を運んだ。春・夏・秋・冬・・・・・・ その季節、季節で違う顔を持つ足尾。幾度も同じ場所を訪れても新たな感覚・思いが沸き起こる。この感覚は何なのだろうか?初めて訪れた社宅跡。いきなり目に飛び込んで来た風景。あたかもタイムスリップしたかの様に、街が活気付き、男・女・子供らが行き交う街、情景。やがて情景は霞み、現実の世界へと引き戻された。何時の日か完成させたい足尾の頁・・・・・ この日は、廃鉱山跡地として、同行者「屋敷様」を案内したのだが・・・・・ 手元にある古地図の存在で、鉄索なる物件の存在は確認していたのだが、今では見る影も無いものと思っていた。しかし、毎回訪れる度に気になっていた場所が在った。まさか此処に、この様な物件があるとは露知らず。一人離れ、以前から気になっていた場所へ赴くと、地元の猟友会の方と出会う。挨拶を交わし何気ない会話を楽しんでいた。足尾が好きで、足尾銅山に興味があり写真を何年も掛けて撮っている旨を伝えると、猟友会の方から驚愕の情報を貰った。 山の中腹にトンネルが在る。行った事はあるか?私等仲間内でも気持ち悪くて中には入れない。トンネル前には小さなお地蔵様見たいのも在る。 指差した先には、かなり上の方向。トンネル坑口も見えない。その方にお礼を言い、すぐさま屋敷様にこの事を伝えなくてはと思い、車の所まで戻った。 隧道坑口へは勾配のキツイ山肌を登り目的の物件が目に飛び込んで来た。何と表現すれば良いのか適当な言葉が浮かんで来ないが荒々しい姿がそこにあった。入口を見ると中央部分に何か突起物が見える。これが御地蔵様だろうか?いや、鉄索の台座にある支柱の一部分であった。猟友会の方は、これを御地蔵様と見間違えたのだろう。 内部は、岩盤をくり抜いたままの状態。岩がゴロゴロと転がっている。資料に因れば、明治35年に小滝選鉱所と銀山平との間に架設した第10鉄索の一部であると説明されている。詳細は、別コンテンツ「廃景的憧想」にて公開したいと思う。 登り勾配を進みながら遺物などの写真撮影・・・・が、前方に人影が!?違和感は隧道内に入る前から感じてはいたのだが、今では気配がはっきりとしている。ただ悪い気ではなかったのでそのまま進む事にした。この時は私達二人を見てるだけだと・・・・・・ 隧道を抜けた辺りに、もう一本の隧道があるのだが、積雪の為に足元の確認が出来ない。踏み外せば岩盤の山肌を転げ落ちるのは確かだ!もう一本の散策を諦め戻る事にした。 |
||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||
| 暇を見付けては足尾へ幾度と足を運び・・・地図上での確認はしてたのだが、嬉しい発見でした。猟友会の方に感謝です。あっそうそう!狩猟時期に山に入る時は蛍光色が良いらしいです。間違って撃たれない為だそうですよ。経験が浅い人は動くものを撃つ可能性があるらしいですから気を付けてね。 いやぁ〜あのですね。当地は廃鉱山での公開だったのですがね、あの経験をしてしまえば心霊的立場での公開もどうだろうかと?本文にも書いてますが、違和感の存在、気配。俺には二人の坑夫を確認したんですよ。まっ悪い気も感じないし、興味的に俺達を見てるんだなと思ってたんだよね。それで、反対側坑口の散策も終え、入口坑口へ向かっている途中から、一人が着いて来るんですよ。一応、祓ったつもりだったのですが、俺の中に入ってしまいました。いやぁ苦しかったですね。咳き込むや肺は痛いし参りました。次の散策地へ赴いてる時に、彼と会話をしたのですが、どうも病院へ行きたいと懇願する。塵肺に関する病気らしい。その為に病院に行きたいのだと。彼は既に亡くなってる事実は把握しており、とにかく病院へと懇願。病院と言っても現存する病院では無い事は確実。頭の中で古地図を思い出し病院跡へ向かう。本山病院跡へ向かいました。その後は快方へ向かい楽になったのは事実です。その時の様子を上手く表現出来ませんが、この日に起った事は事実です。信じるかどうかは閲覧者の皆様にお任せしますがね。ただ、病院跡に着き俺が祓っている時に、男の声が聞こえて来たそうです。同行者の屋敷様が仰っていました。 足尾・・・なぜ足尾に惹かれるのか?答えは判りません。でも、その答えを探しに、また訪れる事でしょう。光と影を追い求めて・・・・・ |