成田不動明王石碑

| 散策日時:平成15年4月20日 散策場所:茨城県守谷市高野 |
| □ 散策記目次⇒⇒関東編⇒⇒茨城県 □ | ||||||||||||||||||
首塚・兜神社・鎧神社・神田明神・七天王塚・・八幡藪不知などなど・・・・将門伝説の地は各地に点在している。 ここ守谷市にも、将門伝説の一つ「海禅寺」の近くに、今回ご紹介する「成田不動明王石碑」がある。 将門は、今の守谷市辺りを信仰の地域と定めたらしいとの伝承が残る地域でもある。地域の中心が、将門城とも謂われる「守谷城跡」と「成田不動明王石碑」に隣接する「海禅寺」。 この海禅寺は、承平年間(931〜937)、平将門が守谷に城を建てた時、京都になぞらえようと紀州高野山金剛峰寺をモデルに創建した寺と言われています。また寺には、将門及び7人の影武者(七騎武者:将門を守る7人の侍)の墓と相馬氏の位牌があります。 昭和50年(1975)7月、高野の成田不動明王石碑に、人の顔が写っているのを近所の小学生が発見しました。石碑の前で遊んでいて「人の顔が写った」ということでした。ちょうどお盆の頃で、その噂が広まり、やがて、テレビ・週刊誌等でも報じられ、全国各地から見物客が殺到しました。このお化けは、成田の不動様に戦勝祈願をした藤原秀郷に首を討ち取られた将門の無念の恨みによって起こった現象という話もあります。 守谷市生涯学習課ウェブサイトおよび諸文献参考。 訪れた時は、中々当該地を見付けられず近所の方に場所等を聞きにお邪魔しました。すると・・・ 「あぁ〜お化け石の事かな?」と、簡単に教えてくれた。 「私が嫁に来た時は、騒がれていなかったが、当時は凄かったらしいよ」 「テレビ局や新聞社、雑誌社まで取材に来てたくらいだから・・・」 「仕舞いには、成田山から僧侶が来て祈祷して行ったよ」 「でもね・・・・暴走族が石碑にペンキで悪戯しちゃってね・・・・」 この様な会話をして一路、現地へ向かいました。 噂では、石碑に三体の顔らしきものが見えると言われてますが、如何なものでしょうか? 私には・・・・あのシミが・・・・・・・・・・・ 将門の乱。その最中に京より一人の僧が千葉に辿り着く。将門を抹殺するには、武力より呪で十分だと、真言密教呪術の第一人者、寛朝を使わし不動明王像を持ち千葉に降り立った。すぐさま護摩壇を作り祈祷を始めた。そして・・・・ 当該地にある、不動明王石碑は成田講の信者達が明治時代に立てたらしい。 護摩壇を作った場所が、今の成田山新勝寺。将門対真言密教・・・・ 海禅寺は将門ゆかりの地。成田不動明王は成田山新勝寺・・・・ なぜ、将門ゆかりの地の隣に石碑を立てたのだろうか?将門の念を抑える為に? 地元の方は、将門の怨念が石碑に現れたとの噂も囁いているらしい・・・・ |
||||||||||||||||||
|
| 石碑を見た感じは如何でしょうか?私には、男と女の顔かな?と思うのですがね?シミの感じでそう見えるのかな? 色々と書籍などを読んで行くと、この地は不思議な所です。まさに将門の怨念を封じ込めるかの様に石碑を!騒ぎが起った時は、かなり位が高い僧侶が祈祷に来たらしいですよ。機会があれば、その他の将門伝説の地を散策してみたいものです。 今回、一緒に散策された 「心霊廃墟ミステリーファイル」管理人 jm2世様でも公開致しております。是非、ご覧になって下さいね。 |