鬼怒砂丘慰霊塔

散策日時:平成14年5月14日
散策場所:茨城県結城郡石下町


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第二次世界大戦時、南方戦線で大事な命を犠牲にした兵士を弔う為に建立された慰霊塔。
稲葉茂氏・鬼怒砂丘慰霊塔奉賛会・訪緬友之会の方々が中心となり建立された場所である。
その為だろうか、茨城県やネット上そして雑誌にもスポットとして取り上げられている。
噂としては、塔の周辺で火の玉が見える。兵士の姿や軍靴の響き等の噂だ。慰霊塔に登ると祟られる。
かの「怨霊地図」にも掲載されているスポットである。静寂で厳粛な雰囲気と言った場所である。



比較的交通量が多い道路を走っていると、当該地の案内をする看板を発見。
思ったより簡単に見つかってしまった。でも南の方から来ると判り図らいかもしれない。
農道を走り、目の前に鬱蒼とした森?林の上に建造物が見えた。あれが慰霊塔か?
考えていたより大きい事に驚く。目的地の近くにはグラウンドや児童遊具もある。今では使われていないのだろうか?グラウンド内はタイア痕やBBQ跡も見られた。
駐車場に車を入れ・・・いざ散策へ!

門を通り、第二次大戦南方戦線の表記などを読み・・・愛馬慰霊を観察。戦死したのは兵士だけでは無いのです。軍馬も兵士と共に戦っていたのです。兵士と共に慰霊されていました。
いよいよ、石畳状の通路を通り慰霊塔へと向かいます。
慰霊塔の壁には、南方戦線で戦死された方々のお名前や民間人のお名前も見られます。その数・・・う〜む数えてこなかった・・・・。
一通り見終え上へと続く階段を登ります。噂に寄れば、この階段を登ると祟られると言う噂もありますが、意を決して登ります。途中に鐘付堂もあり、鳴らそうかと思いましたが・・・・止めました。
さらに上へ行くと焼香が出来る場所があります。キチンと線香をあげ御参りをしてきました。
その辺りで風景を見ていると・・・・下に見える森の風景が密林(ジャングル)に見えるのは不思議でした。建立された願主の方はこの事も考えたのでしょうか?不思議な一致でした。
下に降り、小一時間ボーと当該慰霊塔を眺め、当地を後にした・・・・・



河川敷へ向かう途中の道 鬱蒼と茂る木々の上に・・・
目的地がそろそろ見える 使われていない児童遊具
野球?ソフトボール?球場もある 目の当たりにした慰霊塔
門を潜るといよいよ・・・ 愛馬を慰霊する石碑
厳粛な雰囲気が漂う 思ったより大きい事に驚く
空にそびえる慰霊塔 元第三十三師団長 謹書
鐘があったのだが・・・ 線香をあげ冥福を祈る
まるでジャングルの中みたいだ 愛馬に奉げる
南方戦線図 太平洋戦争関連図

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【発願書】
わたしは、過ぎしビルマの戦いから不思議に生命長らえての言葉そのままに、無傷で、無病で生きて帰りました。あのとき、そのときに、お前は生きて帰れ、日本に帰れ、そして日本の復興に役立てよと神様か仏様が託宣されたのでは・・・・そのことのほかには考えられないことだと思うようになりました。「死んだ気」でという言葉、死んだおれなのだ、生まれ変わったおれなのだというその気で・・・
わたしは余生を託された使命の達成に能力の限りをつくして、奉仕させていただきたい、と思います。
わたしは復員後、慰霊塔の建立を心に深く秘め、40年前に幼児の頃より限りなく愛し限りなく親しみを持つこの地、鬼怒砂丘に、みずからの手で松の苗木を植え、いまやかくも立派な松林になりました。そしてわたくしはこの地に慰霊塔を建立しました。国民のみなさま、戦争を忘れることは、新しい戦争を生む事になります。戦争を忘れないためにも、慰霊塔をつくりました。・・・ここに謹んで日本国のために殉じられた英霊諸士とあわせて第二次世界大戦に於て、みずからの祖国のために殉じられた、とつ国の無名の戦士のかたがたのご冥福を祈り、ねがわくば永久にこの地が、諸英霊の安らぎの場となりますことを心から祈念いたします。

平成元年5月1日                        願主 稲葉 茂


【軍馬鎮魂の賦】
戦い終わって50年。無言の戦友よ、いままでお前の嘶きが俺の耳を離れない。忘れられないお前の姿。・・・許してくれ。俺はお前を捨ててきたのではない。毎日毎日苦楽を共にし、一緒に寝、一緒に歩いたお前と俺。・・・俺には自ら掘った壕があり、身体をくるむだけの小さなシートもあった。しかしお前には入る壕も被るシートさえもなかった。砲煙弾雨の中、撃つに弾丸なく、生きるに食もない。加えて世界一の豪雨地帯インパールで迎えた雨期、その戦場の底知れぬ悲惨さ。俺はお前を捨ててきたのではない。どうしようもなかったあの時のことを、お前もよく知っていてくれるだろう。日本内地から俺達と共に動員されて、大東亜各地を転戦した数万頭を数えるだろうお前達の全てが、日本内地に還ることなく、その尊い生命を散らし、平和の礎となった。俺は数少ない生き残りとして日本に復員し、いまでも戦友と語り合い、時にお前の姿を思い浮かべては慟哭の涙を流している。ここにお前達にしてやれるせめてもの供養として軍馬の碑を建て、心からお前達の冥福を祈る。俺も年老いて、近くお前の眠る黄泉へと逝くが、その時再びお前の姿を見つけ、その嘶きを耳にするのを楽しみにしている。 合掌



上記の【発願書】【軍馬鎮魂の賦】は当地に備えれている「当地案内パンフレット」に書かれている文章をそのまま載せた物です。

場所が場所だけに噂があるみたいですね。雑誌にも噂が載ってますし体験談も多そうです。私としては聖域と言う感じですね。ここに訪れて、改めて祖父の事が思い浮かびました。祖父は南方ではなく樺太でしたがね。その当時の話しをする姿が脳裏を霞めました。親戚にも南方へ赴いた方も居て・・・・
ちょっとブルーな気分になったのも確かでした。
当地を建立された稲葉氏は近くにお住まいとの事です。南方戦線をお知りになりたい方は訪れてみては如何でしょうか?私も一度、伺わせて貰おうかなと思っています。詳しい住所とかは公表出来ませんので、是非、慰霊塔にお参りしてパンフレットの住所を参考にして下さい。

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