八幡平首塚


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所在地: 群馬県安中市簗瀬
分類別: 史蹟系
散策日: 2005.05.19(過去2回)
公開日: 2005.07.05
同行者: なし


首塚・・・罪人の処刑場として各地に存在しているが、此処は戦国時代の武将や足軽兵達の戦死した頭骨が多いらしい。安中城兵の頭骨なのか、それとも武田軍兵の頭骨なのか?
一説には、発見された当時は、頭蓋骨はみな甲府の方へ向けられていたとも云われている。
詳しい文献などを読んでいないのでハッキリとした事は書けない。機会があれば読んで見たい。
心霊的噂としては、高い確率で心霊写真が撮れると噂されている。
残念ながら、私の撮ったものには変化が無かった・・・・・
以下の文は、お堂の前に掲げられている、史蹟案内看板の内容です。

この首塚は、碓氷川北岸河岸段丘上に位置する旧原市町十二号墳(円墳)墳丘に幅1m、長さ2mの穴を掘り、そこにおよそ150体分の頭蓋骨を埋めてあったものである。昭和六年三月十日に墓参り来た小学生によって偶然発見された。その後昭和二十七年十二月に東京大学人類学教室鈴木尚博士によって調査された。結果、古墳の石室の外側に百五十個分に相当する頭骨が山と積まれ、その上を天明三年の火山灰がおおっている事が解った。不思議な事には頭骨には下顎がなく、四肢骨も発見されないところから多分別な場所に埋葬されていたものをここに仮葬したものと推定される。これらの頭骨を人類学的に研究した所、今の日本人に比べて長頭・短顔・広鼻で鼻の付根が低く、中世の日本人の特徴を示している。これらの人骨には刺創もあるところから考えて恐らく戦国時代に近くの城が陥落する際の犠牲者と考えらるが、当時遺体をまとめて埋葬したものを、江戸時代中期又はそれ以前に村民によって偶然発見され、ここに改葬されたものと思われる。この首塚がいつ誰によって造られたかを示す史料は残されていないが、永禄四年に竹田信玄がこの付近帯に八幡平陣城を築き、安中城と松井田城の間を分断した。当時松井田城主安中忠成親子は、箕輪城主長野氏に属し、武田信玄と戦いを交えていた。この首塚は安中市の中世を物語る遺跡であり、首塚で出土した人骨は貴重な人類学上の資料である。-----------------------------安中市教育委員会



緩やかな坂の上に 元々は古墳
御堂 供養塔


3回位、訪れた事がある場所。昨年は怨念地図取材で訪れました。今回は怨念地図取材途中での散策。今年度版には掲載されません。国道から外れ集落地内にあるんですが、史跡として保護もされてますので看板などもあり、間違いなく現地へ到着します。まっ最初は迷いましたがね。過去、夜間に訪れたのだが近くに民家もあり恐怖感は感じなかった。ただ場所柄だろうか雰囲気の所為だろうか、重い感じはしましたよ。んでも今回は明るかった為か全然感じず。犬の散歩をしてる方も居たしね。戦国物や城址、古墳関係に興味がある方はお奨めですよ。

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