※旧宇都宮陸軍飛行場跡

昭和8年、陸軍は優秀な技術を持った下士官を養成するため少年兵制度を設け、その一環として少年航空兵制度(昭和17年に少年飛行兵と改称)が開始された。教育量の増大に伴い昭和15年に少年航空兵の基本操縦教育を目的に、宇都宮陸軍飛行学校が芳賀郡清原村に開設された。その教育訓練場が宇都宮陸軍飛行場である。昭和16年には滑走路や兵舎・航空廠なども設営された。生徒は陸軍少年飛行兵学校の卒業生で、修業機関は約1年。卒業後、所属部隊に在営6ヶ月で伍長に任官した。
地元では清原飛行場とか鐺山飛行場とも呼ばれていた。建設に当たっては、国鉄宝積寺駅から航空廠までの11.7kmに渡って軍用鉄道が敷設され、完成後は飛行場関係者の通勤などに利用された。
滑走路は南北に長さ1500m、幅55mで当初は小砂利を敷き詰めていたが、昭和19年11月には3日間の突貫工事で舗装化した。建物群としては、飛行機格納設備として、鉄骨造格納庫4棟、木造格納庫8棟。そして航空廠である。
航空廠とは、航空兵器や燃料等を調達・補給する機関であり、日本本土5大兵器廠の一つである。
昭和50年以降、当地は工業団地が形成され県立高校や大学が建てられ景観は一変した。

栃木県教育委員会 栃木県近代化遺産(建築物等)総合調査報告書より参照及び抜粋